あいつ何してる? Vol.14 【平成12年卒 田中啓喜先輩 】

1.はじめに

皆様はじめまして。平成12年卒の田中啓喜と申します。同期の主将だった坂入君から紹介があり、今回寄稿させて頂くこととなりました。卒業してから長らくご無沙汰しておりましたが、どうぞ宜しくお願いします。

私は生まれも育ちも長野県で、実家は諏訪市というところです。大学卒業後も長野県に戻り現在は松本市というところで暮らしています。せっかくの機会ですので、少しだけ松本市の紹介をさせて下さい。

松本市は長野県の中央部に位置しており、新宿からだと特急で2時間半くらいの場所にあります。観光地として有名なのは、一番は国宝松本城だと思います。現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」で松重豊さんが演じる石川数正公が城郭や城下町の整備を行った城であり、全国的にも人気のあるお城です。北アルプスの山々も登山客には人気があり、松本からは3,000メートル級の山々を一望することができます。また温泉地でもあり、市内には浅間温泉、美ヶ原温泉、白骨温泉等の特色ある温泉があります。皆さんもぜひ旅行等でお越し下さい。

さて自分自身の話になりますが、大学を卒業した後は、日本連合警備という地元の警備会社に就職し、現在も働いています。警備の仕事というと、多くの方が交通誘導やイベント等での人込みの整理等を思い浮かべると思いますが、私の会社で主な業務として行っているのが、建物に警備用のセンサーを設置して、侵入者等によりセンサーが感知した情報をもとに現場に駆け付ける「機械警備」や、スーパーの売上金を回収したり、金融機関を回って現金を届ける「現金輸送」を行っています。私も入社以来、夜の工場を巡回したり、実際に泥棒に入られた事務所に駆け付けたり、現金輸送車に乗り現金を運搬したりと、多くの業務を行ってきました。現在は本社の管制センターという部署で、警備用センサーからの信号に基づいて警備員に指示を出したり、時には110番・119番通報をしたり、お客様との電話応対というような業務を行っています。

あと、「警備員って何かあったら犯人と戦うんでしょ」とよく聞かれるのですが、警備会社では基本犯人を発見したらそれ以上は近づかず、一旦現場から離脱し即警察に通報して、警察官が到着してから共に対応します。あくまでも自身が危険な目に合わないことが第一であり、私も犯人と遭遇したことはありません。

2.卒業してから

剣道に関しては、就職してからはしばらく剣道はやっていませんでした。3年ほど経過した時に、高校の剣道部の後輩と飲む機会があり、剣道の話をしていたら「先輩、久しぶりに剣道やりませんか」と誘われ、地元の松筑剣道連盟に入会し、そこで今でも剣道を続けています。勤務先が警備会社で夜勤もあり休みも不定休な為、なかなか稽古に行けない時もありますが、細々と続けています。ただ稽古不足の為、学生の時より体重が増えてしまい、現在は、「大学の時の体重」+「卒業してからの年数」=「現在の体重」という悲しい計算式が成り立っています・・・。剣道は相変わらず下手くそですが、剣道を通して多くの先生方、子どもたちや保護者の方々、道場の仲間等多くの方と交流を持つことができ、社会人になっても剣道を続けてよかったと感じています。

           松築剣道連盟の先生方 佐藤成明先生をお迎えした際の写真です。

     松築剣道連盟の中・高生たちと

             地区の大会で2位になった時の写真です。 

さらに去年の8月には、会社の社長に呼ばれ「社内外で様々な人と交流を深めるために、会社で剣道部を作れ」と命を受け、250名程いる社員の中からなんとか剣道経験者の社員を5人集め、「日本連合警備株式会社剣道部」を立ち上げました。勤務地も全員違いますが、現在は月に2回のペースで稽古を行っています。まだ出来て1年も経過しておらず、試合にも出たことはありませんが、未経験でも入部したいという社員もいて、部員は現在9名になりました。また3月には地元の大学である信州大学の稽古にも参加しました。大学生と稽古するのは自分も久しぶりで、大学生にたくさん打ち込まれてしまいましたが、学生時代を思い出し楽しく稽古ができました。まだ規模も小さいですが、これから色々な大会に出て良い成績を残せる様に部員みんなで頑張っています。

                日本連合警備剣道部の部員たちです。

               日本連合警備剣道部の稽古風景です。

                  信州大学剣道部の学生たちと

3.学生時代の思い出

 日々の稽古、春と夏の合宿、下級生の時の道場の準備・片付け、そして試合等たくさんの思い出がありますが、その中でも特に印象に残っていることを紹介させて頂きます。

 まず1年生の時ですが、火曜日が一番きつかったのを覚えています。火曜日は必修科目の関係で、稽古の始まる16時30分に間に合う1年生は自分しかいませんでした。そのため一人で全ての準備をしなければならず、5・6時限の池袋での授業が終わったらとにかく早く新座の体育館に行っていました。準備にミスがあり先輩方にお叱りを受けることも多々ありましたが、今となっては良い思い出です。(先輩方すみませんでした・・・)

 そして試合では、二つの試合が心に残っています。一つ目は3年生の時の関東の団体戦です。あと一つ勝てば全日本に出場できるという試合で、私が2本負けしなければチームは勝つ、という局面で自分の出番がまわってきました。私はそこであろうことか2本負けしてしまい、チームの全日本出場はなりませんでした。私は悔しくて、情けない気持ちでいっぱいだったのですが、試合直後に4年生の先輩方が私を飲みに連れて行って下さり、試合の話は一切せず楽しい雰囲気を作って下さいました。一番悔しい思いをしていたのは先輩方なのに、自分をそうやって励まして下さった4年生の先輩方の優しさは決して忘れることはできません。

二つ目は4年生の時の関東の個人戦です。結果は、1回戦は勝つことができましたが2回戦で負けてしまいました。立教大学の応援席に戻ると、試合があることすら連絡していないのになぜか両親がそこにいてとても驚きました。話を聞くと同期の日下君が内緒で私の実家に電話をし、両親を長野県から日本武道館に呼んでいたのです。結果は2回戦負けでしたが、日本武道館という舞台で両親の前で試合ができたことは、親元を離れ大学で自由に剣道をやらせてくれた両親へ少しですが恩返しができた瞬間だったのかなと思います。

あとは私が一人暮らしをしていたアパートに、多くの先輩・同期・後輩の方が泊まりに来たことでしょうか。私は東武東上線の朝霞駅から徒歩5分という、色々な意味で「絶好」の場所にあるアパートに住んでいました。そのため終電を逃した方、自宅まで帰るのが面倒になった方、鍋パーティ等をうちでやりそのまま泊まる方等、本当に多くの方が泊まりに来てくれました。中でも、午前0時をまわり私がアルバイトから帰ると、アパートの前で自分の帰りを待っていた方がいたことと、6畳一部屋のアパートに、最大8名位の方が突然泊まりに来たことは衝撃的でした。

              1年生の時の新人戦

          2年生の時の春合宿にて

4.最後に

今回この様な機会を頂き、久しぶりに立教大学体育会剣道部にいた頃のことを思い返しました。色々な思い出や経験がありましたが、改めて感じるのは、剣道部に入って良かった!ということでした。剣道部に入っていなければ、きっと本気で打ち込んだものもなく、勉強やその他の活動等全てに中途半端な学生生活だったと思います。

また寄稿を機に登録した紫光会Facebookも楽しみに拝見させて頂いております。久しぶりに先輩方や現役の皆さんと繋がれたような気がしてうれしく思います。

長野県の田舎のいちOBですが、これからも現役の皆さんのご活躍と紫光会の益々のご発展を心より祈念しております。