あいつ何してる?! Vol.18 【平成17年卒 宗平大和先輩】

しつれいします!!埼玉県立川越高等学校出身!経済学部経営学科1年!剣道三段!宗平大和です!

2001年(平成12年)当時、立教大学剣道部での新人自己紹介はこんな感じだったかと思いますが、このような自己紹介のやり方は今でも続いているのでしょうか。

自己紹介。

改めて自己紹介させて頂きます。2005年(平成17年)卒業の宗平大和と申します。花岡先輩(「あいつ何してる!?Vol.13」)よりバトンを預かりました。

私は埼玉県にある川越高校剣道部を卒業し、1年の浪人生活を経て立教大学に入学しました。4年生では主将をやらせて頂き、先生や先輩方、同期や後輩の仲間達に支えていただきながら、全日本大会出場を目標に稽古をしていました。

私の上下の代をお伝えするともっとイメージしやすい先輩方もおられると思いますので、私が1年生の時、4年生が詫摩先輩(函館東)の代・3年生が須藤先輩(宇都宮)の代・2年生が小暮先輩(立教新座)の代でした。私が4年生の時、ひとつ下の3年生が栗和田先輩(仙台育英)の代・2年生が山口先輩(奈良大付属)の代・1年生が山邉先輩(福島)の代でした。

同期の仲間たちと石川先輩・榎本先輩。(現役時代)

現役の頃の話。

剣道部時代のトピックスをいくつか書きますと、私が1年生の時(2005年)に第1回目の明鏡杯が開催され、立教大学は優勝をかざりました。

私が2年生の関東大会では、流通経済大学を代表戦(立教は須藤キャプテン)の末に撃破するという、当時の立大にとって大金星をあげたことは、剣道部みんなが歓喜した瞬間だったと思います。(しかし、次の駒澤大学戦で敗退。全日本出場ならず。)

また、当時は国士舘大学が諸事情により全ての公式大会に出場しなかった時期でしたが、私の最後の関東大会で国士舘大学が復帰し、立大はその大会の1回戦でみごとに国士舘大学とあたりました。

お互いに初戦で【先鋒(1年生の山邉):勝ち、次鋒(2年生の山口):負け、五将(3年生の栗和田):勝ち、中堅(4年生の林):引き分け、三将(3年生の増子):引き分け、副将(4年生の宗平):負け、大将(4年生の斎藤):負け】というスコア。

三将まではリードしてもってきてくれたのですが、4年生の私と斎藤の力が及ばず、チームは初戦敗退となり、これが私の大学での悔しい引退試合となりました。(ちなみにその大会は、復帰した国士舘大学が優勝しました)

ここで少し裏話を挟みます(笑)。私の4年生最後の関東大会の抽選会には、剣道部の中で最もクジ運の良い人間を送り出そうという考えから、学年関係なく全部員がクジを引き、当たりクジを引いた部員が抽選会場に行くことにしました。その時に当たりクジを引いたのは当時3年生の増子(立教新座)という部員でしたが、国士舘が復帰することはわかっていたこともあり、「国士舘ひいてきてやるからな!」と悪ふざけを言い放って抽選会場に行ったところ、昼過ぎ頃に私に電話をかけてきて、「宗平さん、どうしましょう。国士舘ひいちゃいました」と今にも泣きそうな声が電話口から聞こえたのは、今となっては笑い話です。

同期の仲間たち。堀口(同期)の結婚式にて。(卒業後)

卒業後。

さて、前置きが長くなったところで、「宗平?あ~、あいつね。」と少しは思い出してもらえたら幸いなのですが、「あいつ何してる!?」というお題ですので、私が立大剣道部を卒業して何をしているのか、諸先輩方を前に語るほどのものもなく、たいへん僭越ではあるのですが、バトンを預かってしまったこともありますので、この場をお借りしまして少しだけ書きます。

 まず仕事ですが、卒業後は株式会社世界貿易センタービルディングという会社に就職し、今でも同じ会社に勤めています。この会社は、浜松町駅(JR線)の目の前にある世界貿易センタービルという茶色いビルを所有・運営している会社です。このビルは、日本で2番目に建設された超高層ビル(※ちなみに1番目は霞が関ビル)ということもあり、今でこそ都内には当たり前のように超高層ビルが建ち並んでいますが、日本の超高層ビルの先駆け的なビルでもありました。展望台や結婚式場もありましたので、展望台に来ていただいたり、結婚式を挙げていただいたりした思い出のある先輩方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。

2021年4月 浜松町駅前。手前の茶色いビルが解体前の貿易センタービル。左手のビルが新しい世界貿易センタービルの1本目。

この会社は、ビル運営の他に分譲マンションの開発事業もやっておりまして、私は、入社後6年間ほど分譲マンションの開発のお仕事をしておりました。その後、会社が「今の茶色いビルを解体し、最新の超高層ビルに建て替えるんだ!ツインタワーにするぞ!」という決定をしまして、入社7年目(2011年、震災のあった年です。)からビルの建替えを推進する部署に異動することとなり、今に至ります。

現在は、ツインタワーのうちの1本目の建設が無事に終わり、稼働しています。そして、昔の茶色いビルは綺麗さっぱり解体され、2本目の建設が始まったところです。

 この世界貿易センタービルの建替えとは別に、すぐ隣の街区でも再開発事業をやっておりまして、ここでも200mクラスの超高層ビルを建設するのですが、このビルは分譲マンション・オフィス・店舗・文化芸術ホールが入る複合用途のビルとなり、この再開発事業も担当しています。ちなみに、このビルに入る分譲マンションは「ワールドタワーレジデンス」というタワーマンションでして、今年の東京都心部のマンション価格を引っ張り上げた超高級マンションとして話題にもなりました。

 そんなこんなで、2027年頃には浜松町の駅前再開発は概ね終わり、浜松町の駅も街も新しく生まれ変わりますので、楽しみにしていただけると嬉しいです。

2023年10月 浜松町駅前。手前にあった茶色いビルは解体された。新しい世界貿易センタービルの2本目を建設中。中央で建設中のビルがタワーマンション。

 

卒業後の剣道は。

仕事の話はこのあたりまでにして、次は剣道の話です。

大学卒業後、私が勤める会社には剣道部がありませんので、しばらくは立大剣道部の稽古に参加したりしながら、建武堂(池袋)でよい防具をつくっていただきつつ(自分のお金で防具をつくったのはこれが初めてでした)、なんとか五段までは取得しました。その後、家庭ができ、仕事も忙しくなり、といった状況を言い訳にしながらだんだんと稽古に行く回数が減り、きわめつけは、久しぶりに稽古をした際にアキレス腱を切るというハプニングにもみまわれ、足は完治したものの、そのまま稽古からは完全に遠のいてしまい、稽古をしていない状況が今でも続いています。

 ただ、剣道がまったくない環境にいるかと言うと、実はそうでもなく、同じ立大剣道部出身の妻(旧姓:宮野。小田原高校)が細々と稽古を続けているのと、私の二人の子供も剣道の道場通いを始めましたので、剣道はいつも身近に在ります。

 子供たちが通う道場は、自宅からは少し時間がかかる場所にあり、稽古量も多いので、送り迎えが決してラクではありませんが、子供たちの頑張りに負けないように、私も楽しみながら送迎を頑張ろうと思います。

 このように、幸いにも剣道は私の身近にあるので、いつか私もリバ剣し、せっかく買ったのに眠っている防具をたたき起こして、六段や七段を一つの目標にしながら稽古を再開したいと思っています。

名物の同期:O君(もちろん学生時代((笑)))

最後に。

 そろそろ長くなってきましたので、〆に入ろうと思います。

今回、このような投稿の機会を与えてくださった紫光会の先輩方、誠にありがとうございました。とりとめのない雑文になりましたが、学生時代に剣道の稽古に励んでいた頃のこと、最後の大会の悔しさ、立大剣道部を卒業したからこそある繋がりの素晴らしさ、などなど、いろいろなことを思い、感謝しながら投稿文を書くことができました。ありがとうございました。

 立大剣道部のことはいつでも応援しています。

特に現役の剣道部員の皆様、頑張ってください!!

最後に、私が預かったバトンですが、後輩の室井さん(旧姓:森。蕨高校)に預ける予定です。人数の少ない代でしたが、本当によく頑張ってくれた代のメンバーです。世界貿易センタービルに本社をおく企業に勤務されていて、たまにビルの中で会ったりする方です。

予定通りにいけばこの室井さんからの投稿がアップされますので、是非、楽しみにしていただければと思います。