あいつ何してる?【平成8年卒 村田幸太郎先輩】平成10年卒松尾(旧姓 米山)悦子先輩からのバトン!

「こんばんは。ラッシャー木村です。」

 この挨拶とその背景がわかる方、お友達になってください。

 村田孝太郎(平成8年卒)と申します。

 松尾(旧姓:米山)悦子さん(平成10年卒)からバトンを受け取りました。私が今何しているか語ることもなく、剣道のことなど尚更なのですが、かわいい後輩の頼みを無下にもできず「あいつ」呼ばわりされてまでお引受けすることにしました。「面白い文章を書いて笑わせろ」とのリクエストにとてもプレッシャーを感じてます。(冗談です)

【平成4年度新入部員とは?:バブル崩壊翌年 】

 「あいつ何してる」というより「あんた誰?」(by谷啓)と言いたい方、ついでに同期の幹部をご紹介します。(今どき幹部という呼称使うのは体育会か〇〇団くらいですかね)記憶違いはご容赦ください。(敬称略)

 主将:小倉正樹(春日部春風会で淺野修先生※1から指導を受ける)

 副将:樫浦周平(「大きく、正しく、気迫鋭く」※2が信条、篠津中※3から選手として関東大会出場)

 副将:栗原正憲(千葉県立船橋高校※4出身)

 主務:菱山幸治(三代目建武堂若社長は皆さんのほうがよくご存知です)

 女子責任者:蓬田(旧姓:関)かおり(「何してる」VOL.22執筆者)

※1元警視庁師範。第15回世界剣道選手権大会日本選手団強化委員長。

※2剣道家和田金次範士の教え

※3埼玉県南埼玉郡白岡町(当時)の中学校

※4元総理大臣野田佳彦氏(柔道部)の母校でもある。

 平成4年度新入生同期は立教高校剣道部出身七人の侍と、大学からは野球部が第一希望だったお寺さんの御子息、福井県大会第3位の実力者、3人が全員お名前ひらがなの女子部員(かおり、あずさ、ちひろ)などいろいろさまざま。このお話は蓬田さんが詳しく書いてくださったので割愛します。

【連帯責任による大学剣道部への入部】

 そもそもの入部理由は、立教高校剣道部の同級生が私以外全員入部したことによる連帯責任。当初、競技ダンス部に所属していた私は、学校の名前は忘れましたが女子短大から来ていた美しいパートナーに別れを告げ泣く泣く剣道部へ転部。無念。

 しかし、そのおかげであとあと長くお付き合いできる仲間ができました。毎年「まさしげ」のおいちゃん岡村正敏さん、おばちゃんのレンさんの命日が近くなると、誰ともなく声がけをして数人でお墓参りをしています。画像①は閉店するときに頂いたお手紙です。結婚式も披露宴もしなかった私ども夫婦のために同期でお祝いの会を開いてくれて、皆さんから素晴らしい結婚写真のプレゼントを頂きました。②の画像です。③は同期+藤田(旧姓:吉田)仁美さん。

画像①
画像②
画像③

 1年時は夏合宿の中日がキョロロン村と南湖公園の福島県西白河郡西郷村新甲子温泉「玉乃湯旅館」、中日が日本平で苺狩りをする春合宿は静岡県清水市の料亭「万両」(萬両?)。ビールは養老ビール、二次会はます久会館で未成年がいろんなものを飲んでた時代でした。(時効です)

【剣道を始めた理由】 

 私の親世代(団塊世代)は漫画の「赤胴鈴之助」、我々団塊ジュニア世代は「六三四の剣」を読んで剣道を始めた方が多いのではないでしょうか。

 自分が剣道を始めた理由は、小学生のときに習っていた空手の先生から中学校で剣道をやるよう奨められたからです。

 「剣道家は防御が優れている。どの武道にも共通する要素がある。」と仰っていました。

 しかし、入学した中学校の剣道部に指導者は不在。生徒同士の稽古で上達する訳もなく、実績は県大会一回戦止まり。強豪校は中学校でも体育大学出身の教諭が顧問をされていたり、地元の剣友会有志がコーチをしたりと環境の差に驚きました。ほとんど稽古らしい稽古もできず、剣道を奨めてくださった空手の先生の教えは理解できずに終わりました。

 中学では昇段審査に落ちたときのことを良く覚えています。初段の審査結果が出る前に、審査員の方に呼び止められこう言われました。

「左拳を上げて防御してはいけない。あれは剣道ではない。」

【昭和から平成へ、高校入学(平成元年)】

 立教高校に入学して間もなく、1年生の教室に平林さんという2年生の先輩がいらして、道場へ見学に来るよう勧誘されました。「自分の中学校で一番強かった先輩が、厳しい稽古に耐えられず一ヶ月もたなかったと聞いていた高校剣道などとんでもない。」と考えていました。ただ、せっかくお誘い頂いたので、一回だけ馬小屋を改造して作ったといわれる当時の剣道場へ見学に行きました。今は立派な道場が完成しましたね、「夢心館」。

 立教中学出身の精鋭でも脱走兵が出ると聞いていた立教高校剣道部の稽古はとても自分にできる気がしませんでした。原義克先生から「やる気あるけ!」と笑顔で問われ、まともに返事もできませんでした。

 別の日ですが、原先生から同じ質問をされ「あります!」と入部を即決したのが後に高校と大学でキャプテンを務める小倉正樹君です。さすが筋の良い人は違います。

 これは恥ずかしくて今まで黙っていたのですが、高校入試もすれすれで合格し、授業にもついて行けず初めての定期テストは立教大学推薦枠を大きく下回る結果に。県立高校を諦め高い入学金と授業料を親に負担させてまで入学したのに、これではとても部活動をする気持ちにはなれませんでした。

 成績も高校生活も低空飛行で迎えた高校1年の冬、一般生に公開されていた寒稽古にだけは参加させて頂きました。この寒稽古で二つ上の小林浩一郎先輩の剣道を見て、「同じ高校生でこんな綺麗な剣道ができる人もいるんだ」と感心しました。

 高校2年のクラス替えで剣道部の熊谷要一君、遠藤正大(まさお)君と同じクラスになりました。私のことを覚えていてくれて、「今からでも入部できるか原先生に聞いたほうがいい」と途中入部を勧められました。躊躇しているうちに時間が過ぎてしまい、恐る恐る原先生の元にお伺いしました。

「キャプテンの小倉が良いと言ったら入部を認める。彼らは関東大会予選、インターハイを目指して毎日必死に稽古している。小倉の意見を聞いてから返事をする。」

 原先生はキャプテンの小倉君のことをたいへん信頼していました。試合のオーダーも部の運営も必ず小倉キャプテンに確認していたことを覚えています。

 そして、私は高校2年生の途中からというあり得ない時期に入部を許可されました。改めてありがとうございました。

  

 このあと高校剣道部の同級生は全員立教大学へ進学し、全員剣道部に入部したことは冒頭のとおりです。

 

【時は来た、大学OB会の紙面を何で飾るのか(コラ!)】

 通りすがりのOBが語る思い出話など現役の方々には退屈だろうと、何を書くか散々悩んだ挙げ句に当時3年生の私どもが担当した部日誌を引っ張り出しました。今でも「部日誌」付けていますか?3年生が交代制で毎日の稽古内容と感想を記録して主将がコメントする交換日記です。画像④は私が書いた日。ちなみに日付が私の結婚記念日なのは本文と一切関係ありません。

画像④

 一つ上の先輩方は今でもOB戦でご活躍されている剣豪ばかり。当時の下級生はとても大変な思いをしたに違いありません。(ほとんど「記憶にございません」ごめんなさい。

)

 部日誌の最終頁に当時の主将亀川(かめがわ)陽司先輩から頂いた檄文をそのまま掲載します。(⑤の画像は亀川先輩に無許可で掲載しています)

 「何も言うことはない。」Copyright(c)天龍源一郎

 この投稿を、いつお読みになるかわかりませんが、剣道が強かろうが弱かろうが、上手かろうが下手だろうが新しく立教大学の剣道部を任された最上級生の皆さまへお届けいたします。

画像⑤

【大学卒業後】

 大学を卒業後、木造住宅メーカーの一条工務店に4年間勤務し、財形住宅金融という国の福利厚生制度を扱う住宅金融会社に転職しました。マイナス金利解除のニュースが流れて住宅ローンの金利上昇を心配している方も多いでしょう。大丈夫ですよ、住宅ローンって返済できなくなる前に、金融機関が相談に乗ってくれる仕組みになっているので。お早めにご連絡ください。ご利用はご計画的に。

 「自撮りがない」とのご指摘を受けました。この章で強引に掲載します。同期の石田浩臣上人が住職をされている埼玉県久喜市(旧栗橋町)の浄信寺で「棚経」というお盆の行事をお手伝いしたときの画像が⑥。定年退職後、再就職先の有力候補です。お盆のお寺さんはとても忙しく、石田和尚とのツーショット写真を撮る暇なくて正直、すまんかった。両親の法要はいつも浄信寺さんで営んでいます。

画像⑥

 次のバトンはこの部日誌を大事に保管してくださった宮崎博之君に渡します。宮崎君とは地元が近く、私が受験すら諦めた埼玉県立松山高校(名門!)出身です。

 そして最後に、バトンを渡したくても渡せない方のことを。当時の剣道部では「お付」という制度がありました。現代でもありますか?下級生が最上級生の道着の洗濯や防具の仕度をする仕組みで、私は6年前に46歳という若さで急逝された堀江信宏先輩の「お付」 でした。「お付接待」などと言って先輩にたかっては無銭飲食を繰り返す始末でしたが、御縁があったのか卒業してからも少しだけ堀江先輩のお仕事をお手伝いさせて頂く時期がありました。妻と知り合ったのも堀江さんのおかげです。⑦の画像はお亡くなりになる前年に執筆された書籍の出版記念で頂いた直筆サイン。今年は七回忌でした。7月11日の命日は過ぎましたが、この投稿をお読み頂いた方に堀江先輩の御冥福をお祈り頂ければ幸いです。

画像⑦

(事務局から)

村田先輩からのバトンは平成10年卒の宮崎博之先輩に渡されましたが、今回の投稿リレーで久しぶりに交流を再開されたそうです。本企画“あいつ何してる?”の目的はOB・OGのREUNIONですのでうれしい限りです。皆さま、FB版で“いいね”やコメントを送りこの企画を大いに盛り上げてください。よろしくお願いします。