あいつ何してる?Vol.28【平成24年卒臼倉遼先輩】平成22年卒石井将勝先輩のご指名でお久しぶりに登場!

立教剣道部の皆さま、大変ご無沙汰しております。平成24年卒の臼倉でございます。

パーフェクトカリスマ・石井将勝先輩(平成22年卒)よりご指名いただきましたので、大変僭越ながら、学生時代を懐古しつつ、筆を執ります。

現在の生活

早速ですが、私の現在を簡単にご紹介します。

私は大学卒業後、三井住友海上火災保険株式会社へ入社し、今年で35歳となります。大変有り難いことに、勤務先には立教剣道部OBの先輩方が多数在籍されており、縁あって実業団剣道部にも所属しております(しかしながら、盛んには活動できていない現状です…)。

さて、損保業界のはしくれである私ですが、現在の勤務地は大阪淀屋橋、住まいは兵庫県西宮市です。全国転勤を伴う職種のため、2022年4月より、妻と息子2人(長男4歳、次男3歳)の家族4人で関西にて生活しております。関西圏での生活は充実かつ新鮮に溢れており、陣頭に立つ商業施設もあれば、豊かな自然にも気軽にアクセスできます。折角の機会ですので、もう少しだけ家族についてご紹介します。現在、息子2人にはドラゴンボールムーブメントが起きており、休日には必ずと言っていいほど、戦闘ごっこがはじまります。私の主な役は戦闘力皆無のフリーザでして、ヒールとして度々、袋叩きに遭っています(かわいい子供の打撃ですから、無傷です)。一方、息子達は自宅に置いてある私の防具のビジュアルが怖いようで、「お化けが動き出す」といって近寄りません。剣道に興味を抱く日はもう少し先になりそうです。

神戸アンパンマンこどもミュージアム&モールにて。この頃はドラゴンボールファンになる前です。
和歌山県白浜の釣堀です。初心者でもイサキや真鯛が釣れます。

立教剣道部の思い出

次に、私の学生時代を振り返ります。

私が入部した当時は、田頭先輩(平成21年卒)が主将を務められておられました。そして、冒頭のご挨拶にてふれましたとおり、石井先輩が3年生でいらっしゃいました。あの頃の立教剣道部(男子)は、2年連続の全日本学生剣道優勝大会出場、そして、本戦活躍を目標に掲げていたと記憶しています。1年生の頃は、稽古についていくことはもちろん、部の慣習を覚えていくことに必死でした。また、礼儀作法やマナーも至らぬところで、先輩方から、よくお叱りの言葉をいただいていたと思います。とりわけ、一学年上の先輩方(関口賢次郎先輩(平成22年卒)の代になります)とは一緒に過ごす時間も長く、愛情溢れるご指導とご鞭撻を頂戴しておりました。先輩方にはこの場を借りて御礼申し上げます。お世話になり、本当にありがとうございます。

こうして学生時代を振り返っていると、ふと、あることを思い出します。それは私が3年生の秋の出来事です。その年の立教剣道部(男子)は、大阪で行われた全日本学生剣道優勝大会に臨み、惜しくも道半ばで敗戦しました。試合後には全体集合の上、選手がコメントする機会があります。そこで、4年生の先輩方がご挨拶される前に、感極まった私が抜け駆けして号泣してしまいました。自分が現役引退するわけでもないのに、とにかく涙が止まらなくなったことが脳裏に焼き付いています。大会後の慰労の場(うっすらと覚えているのですが、どこかの海鮮系居酒屋でした)で、三摩先輩(平成22年卒)に泣いている姿を真似される羽目となりました。

振り返ってみますと、全国大会に向け、とにかく必死に喰らいついていった充実感と、お世話になった先輩方への感謝の意と、様々な感情が混在して、泣き虫と化したように思います。当時は目まぐるしく過ぎていく日々に、実感も何も覚えませんでしたが、社会人となった今、自らの意思と選択で、何かに夢中になって取り組める環境は当たり前に作れるわけではなく、立教剣道部の活動は、私の貴重な財産であると自負しております。

4年生夏合宿の集合写真。

ところで、剣道と同じく夢中になったことの1つに演芸が挙げられます。練習試合後の大学相互のエール交換や、合宿納会の場で披露されるものです。この演芸、基本的には1年生が務めますが、もちろん例外もあります。その例外の1人が私と同期の津島先輩(平成24年卒)でした。なぜこうなったのか、もうあまり覚えていないのですが、合宿納会では、4年生になっても下級生からの突き上げに遭い、津島先輩と一緒に駆り出されていた記憶があります。いえ、むしろ自分から混ざりにいっていたかもしれません。うっすらと記憶の片隅にあるのが、ムツゴロウと氷河期時代の恐竜の共存の姿を想像のみで再現してみる、なんともシュールな題材を選択していました。当然にスベっていたことは言うまでもありません。(表現が適切ではないかもしれませんが)4年生の時に臨んだプレッシャーのかからない演芸も、それはそれは大変有意義でした。本当に良いのかと若干の躊躇もありますが、演芸も立派な財産に含めて、胸を張りたいと思います。

私と津島君。この後、ムツゴロウと恐竜の共存ネタを披露します。

おわりに

改めまして、この度は貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。職業柄、卒業後は全国を転々とすることになり、OBとして、立教剣道部の皆さまとあまり交流を持てておりませんでしたが、やはり、立教剣道部で過ごした濃密かつ有意義な時間、そして皆さまとの出会いをなくして、今の私はありません。

コロナを機に、剣道から遠のいておりましたが、今後は少しずつリバイバル剣士として再開してまいりたいと思います。

稚拙な文章ではございましたが、最後までご高覧くださり、ありがとうございました。