あいつ何してる? VOL.40【昭和54年卒 鎌形(清水)香代子先輩】

一つ上の佐藤光伸先輩からのバトンリレーです。早世された鎌形敏夫先輩も登場されます。仲の良い同期の皆さんとのエピソード等、ぜひお楽しみください。

以下、鎌形香代子先輩からのご寄稿です。

佐藤光伸先輩よりご指名いただき、コラムのバトンを受け取りました、昭和54年卒鎌形(清水)香代子です。

遡ること半世紀前の春は卯月、文学部日本文学科入学式当日、詰襟学生服姿も凛々しい2年生お二方が教室に入ってこられ「失礼します!体育会剣道部です!井草高校剣道部の清水香代子さん、いらっしゃいますか!」朗々と響く声に呼ばれ、勢い良く 「はい!」 と立ち上がった刹那、私の人生の舵が大きく動きました。

富士見グランド道場前

体育会の意味もロクに知らぬまま入部、地福師範、打木城太郎先生を始め、先輩方の厳しくも優しいご指導、常に厚く支えあった同期、さらに可愛く頼もしい後輩たちのお陰で稽古を続けられました。しかし、諸事情あり3年の半ばで退部いたしました。退部後も同期はことあるごとに声をかけてくれ、卒業式は同期女子3人揃って当時はまだまだ珍しかった袴姿の晴れ着(剣道着ではなく)で臨めたことをありがたく思っています。

同立定期戦後の明治神宮参拝

4年間を全うできなかったにもかかわらず、振り返ると、春夏の合宿、日々の稽古、「お楽しみ」遠足、先輩宅での宴、あらゆる機を捉えた飲み会…と、笑いと涙の想い出は尽きませんが、苦しさ、辛さを味わった記憶より、底抜けの楽しさや深い充実感が上回り、誇らしい月日として過ぎ越し道に今も微笑んでいます。

合宿で初足裏マメつぶれを経験し、稽古を休みたいと泣きべそ顔でいると、同期から「マメがつぶれたぐらいで休んだら剣道部は続けられないよ、俺みたいする?」とヨードチンキに浸した糸をマメの中に通す荒業を施した「ひも付き足裏」を見せられながら、諭されました。夏休み明けの道場掃除で白蛇を発見、道場の守り神では?と畏れながらも、大騒ぎで追い出した珍事。雨の春夏はアマガエルの大合唱に包まれた富士見の道場でしたが、現在は総合グラウンドとして整備されたエリアになっているとききます。「おたのしみ」遠足では猛ダッシュ競争指令が出たこともあり、脚力より直前の飲酒量が勝敗を分けたと記憶しています。

安房館山での春合宿

バトンをくださった佐藤先輩宅にも同期揃って招かれ、先輩が奏でるギターに合わせ、酔いに任せてカーペンターズを歌った(Close to you)思い出は忘れられません。別の機会ではありましたが、佐藤先輩のベルベッドヴォイスで裕次郎を幾度か聴けたことは耳福でした。公式な宴へ臨む同期女子部員3名の決死の覚悟から、アパート住まいの同期男子(熊本健児)を速やかに追い出し、3人で自主合宿を決行、親の「深夜帰宅する娘への心配」を解消しました。追いやられた同期男子のやさしさに深く恩義を感じています。

秩父横瀬村への遠足

卒業後は日本水産株式会社(現ニッスイ)に入社、貿易部に配属され鯖や鮪の缶詰を北米、パプアニューギニア、モルディブ(海が目の前の国々なのに、国産の魚缶詰が大人気の謎)などへ輸出する部署に配属されました。英文タイプとテレックスを得物に、記憶の底で眠ってた英単語を必死に起こし、契約書類を作成しては閉店後の銀行通用口に駆け込んだり、皇居周辺に点在する船舶会社へのお使いが息抜きの日々を1年8ヶ月続け、同期の鎌形敏夫と結婚し退職しました。(本社の在った日本ビルはすでになく、TOKYO TOACHが建設中です)

敏夫は卒業後、池袋東武百貨店に入社。剣道から遠ざかってはいましたが、長男が幼少のころに2,3年ほど地元のカルチャーセンターで子供剣道教室に加入し、インストラクター代理を少々務めたことがありました。竹刀を握り、あれほどうれしそうな顔は他では見なかったと思いだされます。その後幾度か、近所の小学校を拠点とした地域剣道の稽古に出向いた覚えがありますが30年近く前の記憶で曖昧模糊としています。

私は長女が小学校に上がる時に通信教育会社で大学受験用小論文添削や模試採点を始め、内職として25年ほど続けました。お小遣い稼ぎのため、錆び始めた脳みそを駆使した四半世紀は、現役高校生と心のつながりを持っているかに錯覚でき、なかなか良い経験でした。子育て、親たちの看護や介護と続く中、剣道部の仲間の活躍は専ら敏夫から聴くことが主でしたが、平成24年4月4日に55歳で急逝した敏夫に代わり、再び同期10名の輪に迎え入れてくれた仲間に感謝しています。敏夫は亡くなる数年前に東武百貨店から立教学院に出向し、懐かしい池袋キャンパス内で働いていました。中学からお世話になった立教で人生最終章での勤めが叶ったのは、奇跡のような巡りあわせでした。御恩を受けた先生、先輩、同期や後輩と交流が頻繁にでき、多少なりとも紫光会のお手伝いをさせていただき、旅立ちの良い手土産になったろうと思います。同期とは幹事持ち回りで、旅行や宴、カラオケと集まりを重ねてきました。互いに還暦祝いの杯を交わし、次は古希祝いです。濃密な剣道部時代を共有した絆は誰が何を勝手に話そうが、聞いても聞いてなくても、緩やかで愉快な時間となります。

はとバス東京巡り~浅草(第1回還暦祝宴)
熊本ツアー(第2回還暦祝宴)
熱海ツアー(第3回還暦祝宴)
お伊勢参りツアー
石和温泉(樋渡君チリ歓送宴)

55才の若さで敏夫が亡き後、気持ちの柱になることを持ちたいと、母校である都立井草高校の同窓会組織運営に携わっています。また、同居の孫が小学生時代より教室で読み聞かせボランティアをしてきました。中学生にも読み聞かせがあり、今春5月より始め、若いきらきらな視線を浴びつつ、始業前の10分間ですが物語世界に誘うお手伝いを楽しくしています。

剣道とは遠ざかるばかりの生活ですが、敏夫の遺した赤樫の木刀大小を自室の鴨居の上に置いているので、高齢者狙いの賊が来れば一太刀浴びせん!と気持ちだけは剣士のつもりです。

長々と取り留めない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。        

昭和54年卒 鎌形(清水)香代子

投稿者プロフィール

立教大学紫光会
立教大学紫光会